直江津市街の一番海よりの道。
海からの風を直接受けるこの辺は、高い板塀で囲われた家が多かったが、今は少なくなってしまたようだ。
海沿いの道からちょっとそれて母校の前。
直江津中学校。1年しか通ってないけど、いろいろ想い出はある。
当時はフル木造、トイレも臭かったなぁ。
記憶のある限りでは、3代目の直江津水族館。
初代は直江津中学校の道向かいの公園の中にあり、建物は平屋の木造で薄暗かった。中央に大きな開放の水槽があって亀がいた気がする。
我が家を海側(裏)から眺める。
今は貸し家なので中に入ることはできない。
直江津自動車学校のコースだったが今は水族館の駐車場になっている。
当時、日曜はお休みだったので、高校生などがラジコンの車を走らせていた。
フェラーリとか6輪のelf タイレルとか。
うらやましかったな。
父とキャッチボールなんかもしたし、当然自転車を乗り回したりしていた。
横の草むらや林と合わせて家近の遊び場だった。
自動車学校の入口から続く道、中学への通学路でもあった。
左のどこかに石平くんちがあった。
この辻の右側の2軒目か3軒目だったと思う。
石平君ちと反対側、登ってく小径。※1
神社へ続く。
戻って左側。ここは昔からこんな大きな家だった気がする。
この辺の写真。
お寺に続く道に出たとこ。
上の写真で見えてる右の角を曲がると懐かしい坂。
カーブミラーを右に折れると※1の道に続く。
カーブミラーあたりからさらに坂の先を見る。
諏訪神社。
小さい頃はほんとによく遊んだ場所だ。
こんな小さな社だったんだ。
お祭りの日に屋台が出てたこともあった。
当時は砂の斜面だったけど今は緑。
神社の向かいには下のお寺に下る坂道があった。
冬には友達や兄弟でミニスキーで滑っていた。
夏休みはこの坂を下った場所でラジオ体操をした。
その坂は今はもうなく、土留めをされて段差ができていて通行不能。
坂の頂上まできた。
左手が神社の敷地。
頂上の先、ちょっと下ったところの十字路。
集団登校の集合場所。左角の家がなくなっている。
この家のグミをよく採って食べてた。
右手前の家は建て替えられて新しくなっている。
いつもお抱え運転手が迎えに来ていた。
十字路の向こう側の両側の家はそのままだ。
左手、五智丘陵を望む。
右手。左奥に年の近い友達がいたような。
スロットカーのセットを持っていて、遊ばせてもらった。
うらやましかった。
十字路の角の家アップ。
この家も隣の家も、大体の家は上がった記憶がある。
今と違って子供はどの家も自由に出入りできたんだ。
小さな坂を下りてゆく。
40年たっても変わらない佇まい。
ある意味驚きだ。
赤い屋根の先を右に曲がって、
その先の一番奥が僕の生家だ。
平屋で30数坪の建屋と小さな庭、物置とガレージ。
正面の家は更地になっていた。
十字路まで戻って南側に降りる道。
小学校への通学路だ。
坂を下りたら左へ曲がると国府小学校のグラウンドへつながる道。
バックネットの裏を通ってグランドの外側をほぼ一周して生徒玄関へ。
家のすぐ裏の林の先に小学校があったが、通学はぐるっと回るような道程だった。
お寺の前の道の裏通りに醤油屋さん(山本味噌醤油?)があった。
その醤油蔵の前の地面はにいつも醤油がだだ流れていて臭かった。
今の地図には浜善光寺とあるお寺。
僕がいた頃には消失後で礎石があったくらい。
現建物の左手に公民館があり、地域の子供会の新年会やらいろいろ集まりがあった。
左奥に今は通れない砂の坂の跡が見える。
お寺から旧国道8号へ向かう。
国道に出る信号の手前2軒目。宮沢くんの家。
当時から古い家だったが建物は変わらずそのままだ。
さすがに今は無人のようだ。
奥は誰の家だったかなぁ、同級じゃなかった気がする。
交差点正面の更地には、この辺みんなが行きつけの駄菓子屋があった。
「かどや」?、「あんどう」? なんて店だったっけ?!
五智国分寺、谷浜方面を見る。
小学校の正門も国道沿いにある。
今もやってる山本酒屋と今は閉まって久しい岡本スーパー。
10年くらい前に来た時はまだやってたような。
国道から俺んちに行く道。